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このブランドはいまアメリカに買われてやたらに高価なモノになってしまいましたが、30年前はほかのメーカーのポンプと変わらない値段だったはずです。私の使い慣れた感触では、シリカというブランドはさほど高品質なわけではなく、とくにヘッドがよくありませんでした。のちにヒラメに交換してからも長く使いましたが、今の私のシリカはメーターが壊れていて、だいたい1気圧高く出ます。5年くらい前に別のメーカーの新しいポンプを購入し、シリカはあまり使わなくなりました。 先日、とうとうパッキンの皮が擦り切れて、空気が入らなくなりました。スペアをネットで探そうとすると、なんと純正品は実勢価格約1600円。ええっ、なんでこんな高いの。海外のサイトで見てもやはり同じくらいで出ているので、暴利をむさぼっているのは日本のディーラーだけではなさそうです。 こんなものに1600円も出せません。たかだか皮パッキン。作りましょう。 ずっと前にフロントバッグやリュックサックを自作したときの牛床(ぎゅうどこ)が余っています。これを使います。 ***床(とこ)って何?*** 動物の皮を強力な酸化剤でなめし、表面を美しく仕上げたのが革です。この美しい表面のことを吟面(ぎんめん)といい、その裏面を床面(とこめん)といいます。 一方、製造工程で余って捨てられる部分もあり、それを床といいます。牛床は牛の皮から革をとった残りカスで、そのまま捨てられれば産業廃棄物ですが、一部は鞄の芯材になったりもします。手芸用品店で床革(とこがわ)の名で売られていることがあります。しかしこの呼称は正しくありません。あくまで吟面のあるものだけを革といいます。牛床には吟面がないので、(牛の皮ではありますが)革ではありません。 ****** 牛床を直径60mmの円に切り、中心に10mmのポンチで穴を開けます。なお、牛床にはいろいろな風合いのものがあります。厚みがあって硬すぎないものがパッキンの製作に合っていると思います。ここでは厚さ1.6mmのものを使いました(写真1)。 コールマンのピーク1のポンプで使うオイル「リュブリカント」を牛床に十分しみこませたのち、シリカのフロアポンプのシャフトにセットしました。パッキンとして使用する前からオイルを使うのは、動物の膠原線維どうしの摩擦を少なくしてしなやかにする意味があります。硬いとシリンダー内面との密着性が悪くなるでしょう。 シリカのフロアポンプには内径が28mmと30mmの物があり、私のは28mmです。これに合うように牛床を成型するとなると…。私の自転車ルームには、いろいろな金属材料の端材があります。外径31.8mm、内径28.6mmのアルミ管にポンプのシャフトを通し(写真2)、思い切り強く引き込むと、写真3のようになりました。牛床がパッキンの形になろうとしているのがわかるでしょう。 写真3の状態で2週間放置してから取り出すと、牛床製のクラゲのような形のものができあがっています(写真4)。襞状になっている部分は不要なので鋏で切り取って、ポンプのシリンダー内面に密着する部分だけにします。そして白色ワセリンをたっぷり塗ってからシリンダーに押し込んでみました(写真5)。 ここまではたぶん誰がやっても同じ結果になると思いますが、ここから先は現物合わせの調整が必要になります。襞の谷間が1つでも残っていると、当然そこから空気が漏れて加圧できません。付属のワッシャの順番を入れ替えるか、適切なスペーサーを入れるかして、シリンダー内面との隙間がなくなるようにしないといけません。 この自作パッキンの場合、元から付属していた大きくて厚みのあるワッシャをパッキンの下に来るようにセットするのが良いように思われました。ポンプに組み付けて、試しに細い高圧タイヤで使用してみると、パッキンとシリンダー内面との密着性が極めて良く、加圧のダイレクト感が非常に高い。ハンドルのひと押し、ふた押しであっという間に高圧が入る。しかしその密着性が高すぎて、ハンドルを引き上げた時にほんの3秒間くらいですがシリンダー内が陰圧になるし、押しと引きが硬いので腕が疲れます。 これはむしろ、自作パッキンがうまく作れたという証拠です。木工用の平ヤスリでほんの少しだけ、牛床を削って薄くすればいいのです。ただし削りすぎは禁物、しばらく使っているうちになじんでくるでしょうから、あまり多く削らないほうがいいでしょう。ハンドルが少々硬いかなと思うくらいでちょうどいいはずです。 今回のDIYで使った材料と道具は、もともと家にあったものばかりなので、製作費は0円です。いや、お金より何より、製作の工程が楽しかったです。既成品のパッキンを買わなくてよかった。 #
by rinyuukai
| 2024-02-18 16:53
| モノマニア通信
大原越の下りと、馬野渓の上りが走りたくて輪友会の定例ツーリングの企画を組んだ。 大原越は三重県の布引山地を越える峠で、西側の奥鹿野(おくがの)への下りはなかなか面白くて好きなところだ。つい昨日までは32Cのツーリング車で行くつもりだったが、今朝になって急に気が変わり、もっとタイヤの太いキャンピング車で走り出した。 それが正解だった。大原越の下りの荒れ具合は、25Cくらいでも走れなくはないのだが、太いタイヤでバンバン飛ばしたほうが断然楽しい。私のキャンピング車は26HEで、しかもハンガー上がりが262mmしかない低重心設計である。サドルの上で腰をちょっとひねっただけで車体の傾きを調整でき、バランスを取りやすい。古い舗装面の荒れてザレザレになったところを、小石や杉の葉を巻き上げながらガリガリと物音を立ててぶっ飛んでいくのは痛快であった。ジャリジャリジャリ、バチバチバチ、んー、気持ちええぞ!と声が出た。 桃源郷のような奥鹿野を過ぎてすぐに細い道に分岐し、川沿いに下った。阿保(あお)は伊賀国の古い宿場町である。今日の昼は家から弁当を詰めてきた。コンビニで買うよりずっと気分がいいものだ。 阿保から勝地、妙楽寺を経由して、今日の後半は馬野渓の上りだ。ここは渓流に沿って一度も巻かずに直登するのが特徴で、おのずと道は所々で急勾配をなす。バーの下を握って脇を締め、腰を上げて強大なトルクを掛けていくのがだいご味である、と格好つけて書きたいところだが、寄る年波のせいか、あるいはキャンピング車が重いためか、後半のきついところで足を着いてしまった。ウエイトトレーニングの成果はどこに行った。雪が積もっているせいにでもしてしまおうか。 上りきったところは布引山地を越える峠として最高点の華立辻だ。ここはいま上った馬野渓を含めて四方向から登ることができ、その一つ、榊原から登る道は遠い昔の三十代のころ、ロードのタイム計測用に月一くらいのペースで通っていたところだ。 けれど、ツーリングコースとして私が本当に好きなのは、高良城(こうろぎ)林道と林道瀬戸線を通って桂畑へ下るコースである。まず、この道の稜線付近は夏でも冬でも一種独特の開放感がある。自分が偉大なサイクリストにでもなった気分になれる場所なのだ。双眼鏡で伊勢平野の展望を望むのも楽しいし、ナイフリッジになった稜線からときどき伊賀側が覗けるのも面白い。林道瀬戸線は開通記念碑あたりのロマンチックなS字カーブが自転車やオートバイの雑誌の表紙みたいだ。 #
by rinyuukai
| 2024-02-16 22:21
| 定例ラン
昨日は久しぶりに伊勢志摩輪友会の定例ランに参加 また6mほど落ちました 宇治山田駅を830にスタート 内宮から高麗広に抜けて 竜ケ峠を押して登る 途中 崩れている斜面で滑落 リカバーするときに脇腹を強打して痛い 矢持から床ノ木峠を越えて五ヶ所 遅いランチ 剣峠を戻って伊勢 #
by rinyuukai
| 2024-01-16 14:03
| 定例ラン
良材の宝庫であった三重県の大杉谷はかつて神宮の御料地で、昭和22年までは農林省ではなく宮内庁の管轄だった。 明治26年、吉野の林業王、土倉(どぐら)正三郎は、御留山だったこの辺りの木々の払い下げを申請し、花抜峠から沖見峠にかけての道を開いた。これを土倉道という。西ノ谷周辺の良材を伐採して大台辻を引っ張り上げ、吉野川上流の入之波から筏で流して和歌山港まで運材するという壮大な事業を挙行した。 土倉道は、とくに花抜峠から沖見峠にかけてはほぼ完全に平坦になるように築かれ、またその前後も勾配が極めて緩い。木馬を使っていただろうことが一目で見て取れる。木馬(きんま)はもともと土佐から伝わった技術で、樫で作った橇の上に材木を乗せ、路面に敷いた小径木のコロの上を人の手で押し、あるいは牛に引かせて運んでいく技術、およびその橇のことをいう。 久しく沖見峠を歩いていなかったが、令和5年11月、自転車で大台林道の千尋隧道を越えて大杉谷に入り、沖見峠の北側へ回り込んで歩いて登ろうという計画で走り出した。 千尋隧道を通っていよいよ大杉谷に下っていった。ここで高揚感を感じないサイクリストはいないだろう。 尾根を一つ越えて嘉茂助谷、また一つ越えて堂倉谷。峠道への入り口を見落とさないように、カーブのたびに地理院2万5千図をよく見て、自分を慎重に定位しながら行った。自転車をデポし、ハイキングシューズに履き替えて沖見峠道を上がった。 明治時代の土倉道の道形が今もおおむね残っているのが感動的だ。例えば近くの水越峠や備後川林道の峠には、風呂釜や炊事場の跡があって、労働者の息遣いを感じることができる。沖見峠には風呂釜こそなかったものの、飲料の瓶の破片が落ちていたので簡単な飲食はしていたのだろう。 明治33年までは大台辻を越えて奈良県の吉野に運材していたが、この年以降は三重県の紀北町側に下ろすようになった。木馬を牛に引かせて北から沖見峠に上り、峠でトロッコに積み替えて花抜峠までのトラバースを運んだ。そして花抜峠で再び木馬に積み替えて、紀北町の引本浦で船に乗せた。 大正から昭和の初めにかけては、水力のインクラインや簡易索道で運材した。沖見峠にはいまも当時の碍子とワイヤーが落ちている。今日私が自転車で越えてきた千尋隧道の開通は昭和34年なので、トラック便に代わったのはこの年からだろう。 沖見峠には尾根を切ったところがない。完全に乗越している。そしてブナとヒメシャラがまばらに伸びた混成林で、明るい。小春日和の澄み切った空、風はない。音もしない。座ってじっとしていると、時間の止まったようなところである。 いままで三重県の峠をたくさん越えてきたが、沖見峠の美しさは格別だ。心の動かされる産業遺産でもある。峠の愛好家にとって、ここから立ち去るのはなかなかの困難事だ。 参考文献 尾鷲営林署編「大杉谷国有林の施業変遷史」昭和56年 2万5千分の一「大杉峡谷」 5万分の一「尾鷲」「大台ケ原山」 令和5年11月5日走行 #
by rinyuukai
| 2023-11-13 21:18
| 定例ラン
サイクリストは決してのんびり屋であってはいけないと僕は思っているが、たまにはいいだろう。そう思って、大好きな伊賀から信楽へのゆっくりした企画を立てた。 JR関西本線伊賀上野駅で、輪友会メンバーN君と待ち合わせ、御斎峠を上った。二人とも伊賀の生まれではないが、地元にとっては、御斎峠は郷土の大切な峠である。歴史上の人物の名を挙げて、むかしだれだれが通ったなどと得意げに語る人がたくさんいる。 僕のサイクリング歴のなかでも重要な峠で、青春時代、大好きだった信楽への往還にいくつも思い出を作ってくれた。初めてこの峠を目指したのは高校一年のとき。道がわからず、ふもとの商店で「みせい峠って」と尋ねて恥をかいた。商店主は「みせい」から連想して直ちに、「おとぎ峠ね、」と正してくれた。 N君と話をしながらゆっくり上って、到着した峠はいつものように、風のよくわたる気持ちの良い鞍部だった。峠から南は伊賀盆地を一望することができる。伊賀上野のお城と、活気ある城下町。そして遠くに見える特異な形状の山々は、室生火山群による烈火の噴出物だ。対照的に峠の西側は、美しい雑木林がじつに涼しげだ。 一方、多羅尾方面から見ればここは罪人の処刑場でもある。昔はこの峠で人の首を刎ねていた。罪人の体重を五十キロとすると、その体に流れる血液量はおよそ四リットルである。出血性ショックを起こして短い時間で死に至らしめるためには、頚動脈、腕頭動脈、腹大動脈といった太い動脈を一気に鋭く切断して、三分の一以上の血液を数秒のうちに放出する必要がある。処刑人の腕が少しでも鈍ければ、ショックが起こらずに罪人は長いあいだ悶絶したはずだ。いまさっき僕は気持ちの良い峠だと言ったけれど、それは正しかっただろうか。 峠からは多羅尾へはまっすぐ下りずに、途中から分岐して高宮神社を経る道を行った。近ごろの信楽では大きな新しい店ができて、いまの生活様式に合う洗練された作品を販売している。けど、僕は昔ながらの狸と、伝統的なわび・さび風な図柄の方が好きだな。信楽高原鉄道の線路に沿って、N君と二人で静かな道をゆっくり走っていった。 プレストレストコンクリート、という言葉を僕は初めて聞いた。プレス トレスト コンクリートなのかと思ったが、トレストという英単語がわからない。専門家のN君の解説を聞いていると、どうやらプレ ストレスト コンクリートらしい。信楽高原鉄道の第一大戸川橋梁は、昭和29年、日本で初めてプレストレストコンクリートで造られた鉄道橋で、いまや国の重要文化財に指定されている。傍らにわざわざ「標準桁」を付しているのがたいへん面白い。供用している橋桁の経年劣化を非破壊で検査するのは難しいから、標準桁を作って野天に放置し、耐久性の分析をした。ここに黎明期の慎重さが良く表れている。 素人の僕から見て、何ということはない田舎の小さな橋なんだが、これが新幹線などを含めた全国のコンクリート技術の始祖であって、今も鉄道橋として現役である。そしてそれ以上に面白いのが、専門家としてやけに感慨深げなN君の解説であった。 林道を越えた甲賀の新田集落は、美しさの際立つ農村だ。新田の字名にふさわしく、大きなスケールで整地された水田の中に、重い農家建築がぽつぽつと離れて建つ。岩尾越を越えて三重県伊賀市に入っても同じような美しい風景が続いた。重厚な入母屋造りや、見越しの松。ひょっとすると伊賀と甲賀で見栄を張りあったこともあっただろうか。 伊賀と信楽は高校時代によく走った僕の愛すべき道だ。この辺りには高い峠や長大な林道はなく、完走したことを自慢できるような派手な場所じゃない。そのうえ行程が細切れで、スピードを楽しむ走りにも向いていない。けれど、些細なことでもその意味をとらえて、感心したり、興味をもって、面白いと感じたり、感慨を持ったりできる人なら、この地域は必ず楽しいサイクリングエリアになるだろう。また、そういう人でなければ、自転車という趣味を長く続けることはできないだろう。 #
by rinyuukai
| 2023-09-09 12:56
| 定例ラン
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