カテゴリ
以前の記事
2024年 02月 2024年 01月 2023年 11月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 06月 2023年 04月 2023年 03月 2022年 11月 2022年 09月 2022年 07月 2022年 05月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 11月 2021年 09月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 02月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 03月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 05月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 09月 2018年 05月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 03月 2017年 01月 2016年 10月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 03月 2016年 01月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 06月 2014年 04月 2013年 12月 2013年 09月 2013年 05月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 05月 2011年 03月 2011年 02月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2009年 12月 2009年 09月 2009年 05月 2005年 12月 お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
平成27年の夏合宿は、8月8日の11時に岩手県の岩泉町役場にめいめいが集合し、大槌町、遠野を経由して2泊3日で走るという計画である。私は8月6日の朝、八戸を出発し、野田、葛巻を通って、集合場所には約束の時間の5分前についた。参加メンバーのO君とS君二人は既に到着しており、手を振って出迎えてくれた。 旧岩泉駅の前で乾杯し、お互いのこれまでの走りを報告しあう。S君は秘境駅として有名な大志田駅を見て、私より1時間半ほど早く早坂峠を通過した。O君もかなり早く着いたようで、集合時間までの間、二人で龍泉洞を見物したそうだ。人によってコースのとり方はいろいろあるものだ。 宮古へ向かう県道40号線は上有芸までは緩い一定勾配の登りで、長く続くとうんざりするような道である。私は疲労がたまっていて、先頭を行く二人に遅れ気味になってしまった。S君はそんな雰囲気を察してか、自分のへそくりをうまくやりくりしている話を面白く語って場を和ませてくれた。 宮古では宿が予約してある。キャンプを旨とする輪友会の夏合宿においては珍しいことである。僕たちは山側から市街に入ったので、はじめは賑やかなところばかりが目についたが、海に近いところまで降りるとあちこちに震災の爪痕が見えた。宿の食堂で津波について問うと、女将は海水と言いかけた我々を遮って、泥、ヘドロよヘドロ、ここまで来たのよと、膝のあたりを指さした。津波で襲ってくるのは海水だと思うのは素人らしい。宿屋じゅうの泥なりヘドロなりを自分たちでかたずけて、いまこの宿屋はお客を迎えて営業するまでになっている。海に近いところはまだ更地のままのところもあるが、概ね市街は一定のステージは越えたとの印象を持った。 宮古の港にて しかし、翌日、重茂(おもえ)半島をめぐる道を走るとまた印象は変わった。千鶏(ちけい)や石浜あたりの沿岸部は、護岸こそ新しいコンクリが見えたが、かつて漁業に関連した施設のあったはずの所はまるで「流されたまま」になっており、復興らしきものは感じられなかった。明治や昭和初期の津波記念碑がいくつもあって、古人がその体験を後世に引き継ぎ警鐘を鳴らそうとしたことがよくわかる。けれど人は二度三度と同じ被害にあってしまうものなのだ。 メンバーのO君は、出発前から山田町を訪れるのを楽しみにしていた。震災直後、彼はここ山田町でボランティアとして汗をかいた。「重茂半島から下ってきて、眼下の山田湾に養殖いかだが一面に見えたのが嬉しくてたまらなかった」、という彼の言葉が印象的だ。五万図「大槌」を開くと、「かき・ほたて・ほや養殖場」と記した記号が、湾いっぱいに記されている。震災ではこれがみんな流されてしまった。養殖いかだの復活を喜ぶ気持ちは、実際に住民のそばに立ってきたO君だからこそ実感できるのだろう。ただ町をみると、山田も大槌も少しでも海に近いところはまだ整理がついておらず、復興はまだまだこれからである。巨大な防波堤が建設途中で、国道もまだ仮設道路の段階だ。 かなり疲れていた私は、ここからのルートに不安を感じていた。大槌から遠野に向かう道はいくつか候補がある。歴史的に最も重要なのは、遠野物語にもたびたび登場する笛吹峠や、その間道の界木峠であるが、昼に食事をしながら相談したところ、当初計画案を尊重する形でスリーグリーンラインを越えることになった。ツーリング中のルート決定の際は、メンバー全員が同じ地理院5万図を見ながら意見を言い合い、ルートを決めていくのが長年輪友会で行われてきたやり方で、わが輪友会の良いところであった。しかし今回の夏合宿は私は5万図であったもののほかは民間の道路地図であったりして、それぞれの持参した地図が異なるために輪友会の良き伝統が果たせなかったように思う。また私自身かなり疲れてしまい、5万図を熟考して意見を言うことができなかった。 スリーグリーンラインの上りは思った以上に急勾配で、先を行く二人とだいぶん差がついてしまった。新山牧場の入口あたりから小雨が降り出し、そのせいでなおさら空の照度が低くなって疲労感がかき立てられた。界木峠方面へ分岐するルートをとるか、それともスリーグリーンラインをまるまる越えるかも議論になった。笛吹峠を越えないならせめて界木峠を行きたいと思っていた私は前者を主張したが、結果的に、O君とS君のいうとおり後者を選択してよかった。スリーグリーンラインから界木峠方面へ分岐する道は、踏み跡が怪しくて不確定要素が大きかった。疲労困憊の私はこの時、サイクルツーリストとしての正常な判断力を失っていたと思う。 尾根上を乗越した時、二人に長く待っていてもらったのは申し訳なくもあったが、自身は気持ちがすっと楽になったのを感じた。幸い暗くなる前に遠野に下れそうだ。広い牧野や美しい広葉樹林の中を豪快に駆けるこの道は、キャンピング車やランドナーだけでなく、ロードでスピードを上げてスポーツ性の高い走りをしてみても楽しいだろう。暗い植林帯ばかりの地元の三重県内に較べればここは夢のようなルートで、もうすこし体調の良い時に来たかった。 スリーグリーンラインの下り。霧のなかに突っ込んでいく。 遠野で銭湯に入り夕食の買い出しを済ませたころにはすでに暗かった。いまからテントの張れる場所を探すのは大変なので、不本意ではあるが道の駅の軒を借りることとした。このあたりの道の駅はどこも管理がおおらかのようだ。 遠野の農家。右奥の母屋の半二階の作りが珍しく思えるが、遠野ではこの形の屋根をよく見かけた。左奥の腰折屋根の建物ではかつて牛を飼っていたはず。手前にマキの蓄えがある。東北の農家は道からかなり奥まったところに母屋があることが多い(これは望遠で撮影)。母屋の戸はサッシに換えられている。 鮎貝、人首、五輪峠。私にとって学生時代のツーリングの思い出の残る、たいへん懐かしい地名だ。この峠も当時から好きなところの一つだった。東北に対して他の人が抱くイメージといえば、人柄が良いとか素朴な民俗がよく残っているといったのがステレオタイプだ。しかし五輪峠はかつて南部藩に対して遠野地域の支配者が謀反を起こした際の戦場跡でもあり、罪人の藩から藩への引き渡しの場所でもあった(那須光吉「岩手の峠」)。かつては、年貢が払えなくて、偽って他の藩に逃亡し、やがて詐称が発覚して捕らえられ、元の藩に引き渡されるということがあった。その場所が五輪峠だった。いまの五輪峠は、五輪塔と、宮澤賢治の歌碑と、赤松が印象的な静かな峠だ。25年も昔の峠越えツーリングを思い出して、なかなか下りだすことができなかった。 人首で今年の夏合宿は終わる。私は水沢江刺から輪行で帰るし、他の二人はめいめい好きなコースを走るだろう。 総じていうなら今年の夏合宿も成功であった。後半に疲れが出て皆についていけなかったのは残念だったが、かつては歩くこともままならなかった私が術後2年でここまで回復したのには満足しなくちゃいけない。去年の夏合宿よりずっと良い走りができたし、特に外川から南下して早坂峠まで峰越するダートは、綿密に準備ができかつスピリチュアルな走りもできた。また、畜産に関することを職業にしている私にとって、畜産の盛んな地域をたくさん見られたこと、畜産に関する歴史街道を走れたこともよかった。学生のころ荒天で行けなかった笛吹峠が、またもや宿題として残ってしまったが、それはまた次回の楽しみとしたい。良い合宿だった。
by rinyuukai
| 2015-10-22 21:22
| 合宿
|
ファン申請 |
||