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コース 久居―石橋―古市―布引峠―霧生―高尾―長瀬―太郎生―石名原―奥津―上多気―下之川―清水峠―小原―合ヶ野―久居 春になったことだし、舗装路をのびやかに走るコースを組んでみようかと思い立った。 三重県の中勢から伊賀にかけては地形が比較的複雑なので、ツーリングのコースがいくらでも組めるが、なかでも今日のはゴールデンコースと言えるだろう。布引峠の上りは実に気持ちがいいし、霧生は昔話に出てくるような素朴な田舎だ。とくに瓦屋根の並ぶさまは美しく、都会の人が見たらなんというだろう。 布引峠は、この山地を越える峠として成立時期がもっとも古い峠の一つである。奈良県の春日大社は、茨城県の鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)のご神霊を勧請して、神護景雲二年(768年、春日大社社伝)に成立している。神輿が布引山地を越えて大和へ向かうとき、地元の伝説では、その峠越えで神輿を置いて休息したところが現在の霧生の鹿嶋神社だという。 青山町の山間部には、平安時代から、藤原千方(ふじわらのちかた)という狼藉者に関する伝説が伝わっている。実は布引峠を越えた東側の美杉村にも、同じ時代に同じ伝説が広まっていたといわれている。つまり当時から山を越えた人々の交流があったと考えられ、この峠の成立年代がいかに古いかを物語る証左とされている(詳細は風媒社刊「三重の峠」を参照されたい)。青山町の山間部のあちこちに「千方伝説 血首(ちかべ)の井戸」と書いた道案内が立っているのは、刎ねられた千方の首が投げ込まれた井戸のことである。 霧生から西は5万図実線の道を探索するような気分で行った。この辺の実線はだいたい走っているつもりだったが、よく探せばまだまだ知らない道があるものだ。ときどき鹿が「ピーッ」と警戒の鳴き声を上げている。鹿島神宮由来の神鹿の子孫かもしれない。 伊勢本街道の宿場町であった奥津は、ここ最近村おこしに積極的である。家々は暖簾を下げて、昔の屋号を札に書いて玄関先に表示したりしている。こうした観光客向けのパフォーマンスを私は割合好きなほうだ。駅に隣接して、地場産品や土地の人の手芸品などを販売する観光案内所が新築されてもいる。長い間災害で不通だったJR名松線の全線開通をあと1週間後に控え、村全体が沸いているように見えた。 次の宿場町は上多気(かみたげ)である。ここも昔の街道の雰囲気が強く残るところで、居並ぶ古い商家は写真愛好家の被写体にもなっているし、北畠神社や霧山城址など見所が多い。今日の僕たちは日当たりのよいところを選んで、昔の遊郭跡を通り、下之川へ向かった。 下之川は大字であって、多くの小字を含めた広い地域を指す地名だ。かつてはその小字の間にも一つずつ峠があって、昔の人は日常のちょっとした用事の際にも峠を越えて行き来していた。そのうえ大字の下之川全体も山に囲まれていて、峠越えなしでは隣の村に行くこともできなかった。さぞかし苦労が絶えなかったろうが、そのことが、町から世俗的な文化が流入したり、牛蒡祭り(地元の方言では「ごんぼ祭り」)に代表される村固有の文化が失われたりすることから守っていたとも言えるだろう。 しかし下流の君ケ野ダムの建設に伴って村を貫く県道が建設され、ここ最近は津市のごみ処理場の受け入れが決まってさらに新しい幹線道路の建設が始まっている。
by rinyuukai
| 2016-03-31 20:27
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