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平成28年の5月と6月は、企画した日程がことごとく悪天候で、定例ツーリングを開催することができなかった。7月に入ってすぐの土日、予報では日本海の梅雨前線の影響で、計画していた岐阜県の王滝村周辺はまたもや延期となったが、せっかくメンツがそろったんだから、前線を避けて南の熊野周辺の林道に計画変更して走ろうということになった。 三重県熊野市の飛鳥・五郷(いさと)地区から北西側に広がる、北山と呼ばれる山域は全国有数の多雨地帯で、あまりの山深さにかつては無主の地とされ、天然の良木が育っても近代までそれを伐り出すものがいなかった。戦前から戦後にかけて、伐り出した材木を搬出する森林鉄道があちこちにでき、やがて廃れていった。大又林道は、そうした軌道跡を利用して敷設された林道のひとつで、いまも自転車で走って楽しむことができる。 飛鳥から上り始めてすぐ、トンネルまでの間は急な坂道である。この区間はかつて木馬道であったところだ。木馬(きんま)とは、樫の木でできた橇に伐り出した材木を乗せて、コロを敷いた道の上を人力で曳いて搬出すること、およびその橇自体を木馬と呼んだ。森林鉄道で搬出できるのは勾配のないところに限られるので、それ以外の所は木馬か索道で運び下した。 この地域は北山川の筏流しが有名で、今では観光産業になっている。しかし支流の北山川を通って本流の熊野川を流れ下った先は和歌山県新宮市。筏で流して新宮の市場でセッたのでは、売買益は新宮にしか落ちない。 熊野の飛鳥や五郷の民としては、重労働で危険ですらある搬出作業(木馬を曳く仕事、およびその従事者をキンマヒキといった)ばかりさせられたのではたまらない。木馬や索道を使ってなんとかして地元に材木を運びおろし、地元に市場を設けてセリを開催することには大きな意味があった。戦前戦後、大又林道や、その北の佐渡林道はそのための搬出路として役立った道だ。 トンネルをくぐると、ややバラスの深い下りののち、やけに勾配のないコンクリ舗装の道になる。この部分がかつての森林鉄道の軌道跡だ。狭い谷と深い山の中で、不自然に水平なのですぐにそれとわかる。 大又林道に合流する直前で素掘りのトンネルがもう一つある。中は真っ暗でコウモリが棲んでいる。戦後、搬出能力の向上を図るためにトラック輸送に変更しようとした際、トンネルの断面を掘りなおして拡大する工事を受けたが、途中で木材価格の下落などのあおりを受けて工事は中断されることになった。そのため今もこのトンネルは、断面の大きさが途中で急に変わる。広いほうから入ると、急に狭くなったところで壁にぶつかりそうになるので、最近になってトンネルの壁にリフレクターがつけられた。 佐渡林道に合流してからの区間も私の好きなところで、特に断崖絶壁の下を走り抜けていくスリル、澄みきった渓流を渡る清涼感、右岸の大きな滝や岩壁は素晴らしく高度があり、林道ツーリングの楽しさ満点の行程だ。こんな楽しいところで、今までサイクリストに一人も出会ったことがないのはどうしてなんだろう。 時間的にはやや早いが、上池原の集落で昼食をとり、白谷池郷林道にむかった。初めのうちは十数パーセントの強い勾配でぐんぐん標高を稼いだ。一番脚力のあるS君がスルスルっと行ってしまい、私を含めたあとの4人が抜きつ抜かれつしながらジワジワ登って行った。勾配がきついので苦しかったが、上はたかだか1000メートルである。この先じきに緩くなるだろうとの予想はついていた。 ゲートから先は未舗装路である。バラスの浮いたところが多く、ドロップハンドルのツーリング車や32Cのシクロクロスには決してやさしい上りではなかった。S君には頂上でだいぶん長く待ってもらった。尾根上は風がよく通って気持ちの良いピークだった。 下りは、初めのうちはよく締まっていて走りやすかったが、じきにバラスが浮いてきて手ごわさが増した。私のタイヤはビットリアのランドナープロで、丈夫なのはいいが、ちょうどオートバイのタイヤのようなパターンでブロックがなく、ガレた道での安定感が悪い。翻弄されるような走りになってしまい上手に下ることができなかった。 予定では、葛川隧道を回って熊野へ帰るつもりだったが、日曜の夕方だし少し早く帰ろうという意見が大勢を占め、白谷トンネルをくぐってショートカットすることになった。 下北山村と十津川村を結ぶこの道は、両端を除いては全くの無人地帯である。もともと昭和40年代半ばに建設されたときは林道だったが、のちに整備されて国道に昇格した太閤サンみたいな道である。過去に自転車で何度か走ったことがあるが、五万図にもはっきり出ていない細かいカーブが無数に連続するため、地理院地形図からの目算より所要時間がずっと多くかかる。いやこの道に限らず、このあたりはどこも細かいカーブが多く、思ったより時間と体力を消費する。 紀州の山間部を走ることは、自転車が好きでさえあれば誰でもできる。ダート部分だけをMTBでさらっと走るだけなら簡単に走れてしまうだろう。しかしツーリング車で、ダートも含めて、きちっとしたツアーとして走るのは難しい。 今回も、周回コースにしてしまったことには満足していないし、プランナーとしてはコースの時間読みが若干甘かった。S君は終始翻弄されずに走りこなしたが、私(庄山)は、走ることはできても走りこなすことはできなかった。
付録.県内の森林鉄道については、片岡督・曽根和郎著「三重県の森林鉄道―知られざる東紀州の鉄道網―」(印刷所 株式会社マツモト)に詳しいので参照されたい。
by rinyuukai
| 2016-07-24 08:57
| 定例ラン
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