伊勢志摩輪友会
2024-02-24T09:30:25+09:00
rinyuukai
三重のサイクリングクラブ
Excite Blog
シリカのフロアポンプのパッキンを作る
http://rinyuukai.exblog.jp/33841553/
2024-02-18T16:53:00+09:00
2024-02-24T09:21:02+09:00
2024-02-18T16:53:01+09:00
rinyuukai
モノマニア通信
学生時代にクラブ内で共有して使っていたこともあって、卒業後に店頭で選んだのがシリカでした。雑誌にもよく出ていたイタリア製のポンプで、あこがれて買った人も多かったはずです。
このブランドはいまアメリカに買われてやたらに高価なモノになってしまいましたが、30年前はほかのメーカーのポンプと変わらない値段だったはずです。私の使い慣れた感触では、シリカというブランドはさほど高品質なわけではなく、とくにヘッドがよくありませんでした。のちにヒラメに交換してからも長く使いましたが、今の私のシリカはメーターが壊れていて、だいたい1気圧高く出ます。5年くらい前に別のメーカーの新しいポンプを購入し、シリカはあまり使わなくなりました。
先日、とうとうパッキンの皮が擦り切れて、空気が入らなくなりました。スペアをネットで探そうとすると、なんと純正品は実勢価格約1600円。ええっ、なんでこんな高いの。海外のサイトで見てもやはり同じくらいで出ているので、暴利をむさぼっているのは日本のディーラーだけではなさそうです。
こんなものに1600円も出せません。たかだか皮パッキン。作りましょう。
ずっと前にフロントバッグやリュックサックを自作したときの牛床(ぎゅうどこ)が余っています。これを使います。
***床(とこ)って何?***
動物の皮を強力な酸化剤でなめし、表面を美しく仕上げたのが革です。この美しい表面のことを吟面(ぎんめん)といい、その裏面を床面(とこめん)といいます。
一方、製造工程で余って捨てられる部分もあり、それを床といいます。牛床は牛の皮から革をとった残りカスで、そのまま捨てられれば産業廃棄物ですが、一部は鞄の芯材になったりもします。手芸用品店で床革(とこがわ)の名で売られていることがあります。しかしこの呼称は正しくありません。あくまで吟面のあるものだけを革といいます。牛床には吟面がないので、(牛の皮ではありますが)革ではありません。
******
牛床を直径60mmの円に切り、中心に10mmのポンチで穴を開けます。なお、牛床にはいろいろな風合いのものがあります。厚みがあって硬すぎないものがパッキンの製作に合っていると思います。ここでは厚さ1.6mmのものを使いました(写真1)。
コールマンのピーク1のポンプで使うオイル「リュブリカント」を牛床に十分しみこませたのち、シリカのフロアポンプのシャフトにセットしました。パッキンとして使用する前からオイルを使うのは、動物の膠原線維どうしの摩擦を少なくしてしなやかにする意味があります。硬いとシリンダー内面との密着性が悪くなるでしょう。
シリカのフロアポンプには内径が28mmと30mmの物があり、私のは28mmです。これに合うように牛床を成型するとなると…。私の自転車ルームには、いろいろな金属材料の端材があります。外径31.8mm、内径28.6mmのアルミ管にポンプのシャフトを通し(写真2)、思い切り強く引き込むと、写真3のようになりました。牛床がパッキンの形になろうとしているのがわかるでしょう。
写真3の状態で2週間放置してから取り出すと、牛床製のクラゲのような形のものができあがっています(写真4)。襞状になっている部分は不要なので鋏で切り取って、ポンプのシリンダー内面に密着する部分だけにします。そして白色ワセリンをたっぷり塗ってからシリンダーに押し込んでみました(写真5)。
ここまではたぶん誰がやっても同じ結果になると思いますが、ここから先は現物合わせの調整が必要になります。襞の谷間が1つでも残っていると、当然そこから空気が漏れて加圧できません。付属のワッシャの順番を入れ替えるか、適切なスペーサーを入れるかして、シリンダー内面との隙間がなくなるようにしないといけません。
この自作パッキンの場合、元から付属していた大きくて厚みのあるワッシャをパッキンの下に来るようにセットするのが良いように思われました。ポンプに組み付けて、試しに細い高圧タイヤで使用してみると、パッキンとシリンダー内面との密着性が極めて良く、加圧のダイレクト感が非常に高い。ハンドルのひと押し、ふた押しであっという間に高圧が入る。しかしその密着性が高すぎて、ハンドルを引き上げた時にほんの3秒間くらいですがシリンダー内が陰圧になるし、押しと引きが硬いので腕が疲れます。
これはむしろ、自作パッキンがうまく作れたという証拠です。木工用の平ヤスリでほんの少しだけ、牛床を削って薄くすればいいのです。ただし削りすぎは禁物、しばらく使っているうちになじんでくるでしょうから、あまり多く削らないほうがいいでしょう。ハンドルが少々硬いかなと思うくらいでちょうどいいはずです。
今回のDIYで使った材料と道具は、もともと家にあったものばかりなので、製作費は0円です。いや、お金より何より、製作の工程が楽しかったです。既成品のパッキンを買わなくてよかった。
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2024年(令和6年)2月定例ラン 布引山地の二つの峠
http://rinyuukai.exblog.jp/33839552/
2024-02-16T22:21:00+09:00
2024-02-24T09:30:25+09:00
2024-02-16T22:21:29+09:00
rinyuukai
定例ラン
大原越は三重県の布引山地を越える峠で、西側の奥鹿野(おくがの)への下りはなかなか面白くて好きなところだ。つい昨日までは32Cのツーリング車で行くつもりだったが、今朝になって急に気が変わり、もっとタイヤの太いキャンピング車で走り出した。
それが正解だった。大原越の下りの荒れ具合は、25Cくらいでも走れなくはないのだが、太いタイヤでバンバン飛ばしたほうが断然楽しい。私のキャンピング車は26HEで、しかもハンガー上がりが262mmしかない低重心設計である。サドルの上で腰をちょっとひねっただけで車体の傾きを調整でき、バランスを取りやすい。古い舗装面の荒れてザレザレになったところを、小石や杉の葉を巻き上げながらガリガリと物音を立ててぶっ飛んでいくのは痛快であった。ジャリジャリジャリ、バチバチバチ、んー、気持ちええぞ!と声が出た。
桃源郷のような奥鹿野を過ぎてすぐに細い道に分岐し、川沿いに下った。阿保(あお)は伊賀国の古い宿場町である。今日の昼は家から弁当を詰めてきた。コンビニで買うよりずっと気分がいいものだ。
阿保から勝地、妙楽寺を経由して、今日の後半は馬野渓の上りだ。ここは渓流に沿って一度も巻かずに直登するのが特徴で、おのずと道は所々で急勾配をなす。バーの下を握って脇を締め、腰を上げて強大なトルクを掛けていくのがだいご味である、と格好つけて書きたいところだが、寄る年波のせいか、あるいはキャンピング車が重いためか、後半のきついところで足を着いてしまった。ウエイトトレーニングの成果はどこに行った。雪が積もっているせいにでもしてしまおうか。
上りきったところは布引山地を越える峠として最高点の華立辻だ。ここはいま上った馬野渓を含めて四方向から登ることができ、その一つ、榊原から登る道は遠い昔の三十代のころ、ロードのタイム計測用に月一くらいのペースで通っていたところだ。
けれど、ツーリングコースとして私が本当に好きなのは、高良城(こうろぎ)林道と林道瀬戸線を通って桂畑へ下るコースである。まず、この道の稜線付近は夏でも冬でも一種独特の開放感がある。自分が偉大なサイクリストにでもなった気分になれる場所なのだ。双眼鏡で伊勢平野の展望を望むのも楽しいし、ナイフリッジになった稜線からときどき伊賀側が覗けるのも面白い。林道瀬戸線は開通記念碑あたりのロマンチックなS字カーブが自転車やオートバイの雑誌の表紙みたいだ。
総じて今日は楽しい冬のツーリングだった。風の強い平地をロードで行くのはつらいだけだ。やはり冬は太いツーリング車で山中深くを逍遥するに限る。
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2024年1月定例ラン
http://rinyuukai.exblog.jp/33789944/
2024-01-16T14:03:00+09:00
2024-02-19T22:01:17+09:00
2024-01-16T14:06:18+09:00
rinyuukai
定例ラン
また6mほど落ちました
宇治山田駅を830にスタート
内宮から高麗広に抜けて
竜ケ峠を押して登る
途中 崩れている斜面で滑落
リカバーするときに脇腹を強打して痛い
矢持から床ノ木峠を越えて五ヶ所
遅いランチ
剣峠を戻って伊勢
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2023年(令和5年)11月定例ラン 千尋隧道と沖見峠
http://rinyuukai.exblog.jp/33593760/
2023-11-13T21:18:00+09:00
2023-11-13T21:18:55+09:00
2023-11-13T21:18:55+09:00
rinyuukai
定例ラン
明治26年、吉野の林業王、土倉(どぐら)正三郎は、御留山だったこの辺りの木々の払い下げを申請し、花抜峠から沖見峠にかけての道を開いた。これを土倉道という。西ノ谷周辺の良材を伐採して大台辻を引っ張り上げ、吉野川上流の入之波から筏で流して和歌山港まで運材するという壮大な事業を挙行した。
土倉道は、とくに花抜峠から沖見峠にかけてはほぼ完全に平坦になるように築かれ、またその前後も勾配が極めて緩い。木馬を使っていただろうことが一目で見て取れる。木馬(きんま)はもともと土佐から伝わった技術で、樫で作った橇の上に材木を乗せ、路面に敷いた小径木のコロの上を人の手で押し、あるいは牛に引かせて運んでいく技術、およびその橇のことをいう。
久しく沖見峠を歩いていなかったが、令和5年11月、自転車で大台林道の千尋隧道を越えて大杉谷に入り、沖見峠の北側へ回り込んで歩いて登ろうという計画で走り出した。
大台林道は三重県で数少ない本格ダートである。一般に林道の路面はその時々で荒れ具合に違いが大きいもので、今日は手拳大ないしそれ以上の石がごろごろしており、オン・オフ兼用のツーリングタイヤでは辛い。
千尋隧道を通っていよいよ大杉谷に下っていった。ここで高揚感を感じないサイクリストはいないだろう。
尾根を一つ越えて嘉茂助谷、また一つ越えて堂倉谷。峠道への入り口を見落とさないように、カーブのたびに地理院2万5千図をよく見て、自分を慎重に定位しながら行った。自転車をデポし、ハイキングシューズに履き替えて沖見峠道を上がった。
明治時代の土倉道の道形が今もおおむね残っているのが感動的だ。例えば近くの水越峠や備後川林道の峠には、風呂釜や炊事場の跡があって、労働者の息遣いを感じることができる。沖見峠には風呂釜こそなかったものの、飲料の瓶の破片が落ちていたので簡単な飲食はしていたのだろう。
明治33年までは大台辻を越えて奈良県の吉野に運材していたが、この年以降は三重県の紀北町側に下ろすようになった。木馬を牛に引かせて北から沖見峠に上り、峠でトロッコに積み替えて花抜峠までのトラバースを運んだ。そして花抜峠で再び木馬に積み替えて、紀北町の引本浦で船に乗せた。
大正から昭和の初めにかけては、水力のインクラインや簡易索道で運材した。沖見峠にはいまも当時の碍子とワイヤーが落ちている。今日私が自転車で越えてきた千尋隧道の開通は昭和34年なので、トラック便に代わったのはこの年からだろう。
沖見峠には尾根を切ったところがない。完全に乗越している。そしてブナとヒメシャラがまばらに伸びた混成林で、明るい。小春日和の澄み切った空、風はない。音もしない。座ってじっとしていると、時間の止まったようなところである。
いままで三重県の峠をたくさん越えてきたが、沖見峠の美しさは格別だ。心の動かされる産業遺産でもある。峠の愛好家にとって、ここから立ち去るのはなかなかの困難事だ。
参考文献 尾鷲営林署編「大杉谷国有林の施業変遷史」昭和56年
2万5千分の一「大杉峡谷」
5万分の一「尾鷲」「大台ケ原山」
令和5年11月5日走行
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伊賀と信楽をめぐる(2023年9月定例ラン)
http://rinyuukai.exblog.jp/33414862/
2023-09-09T12:56:00+09:00
2023-09-09T22:11:10+09:00
2023-09-09T12:56:07+09:00
rinyuukai
定例ラン
JR関西本線伊賀上野駅で、輪友会メンバーN君と待ち合わせ、御斎峠を上った。二人とも伊賀の生まれではないが、地元にとっては、御斎峠は郷土の大切な峠である。歴史上の人物の名を挙げて、むかしだれだれが通ったなどと得意げに語る人がたくさんいる。
僕のサイクリング歴のなかでも重要な峠で、青春時代、大好きだった信楽への往還にいくつも思い出を作ってくれた。初めてこの峠を目指したのは高校一年のとき。道がわからず、ふもとの商店で「みせい峠って」と尋ねて恥をかいた。商店主は「みせい」から連想して直ちに、「おとぎ峠ね、」と正してくれた。
N君と話をしながらゆっくり上って、到着した峠はいつものように、風のよくわたる気持ちの良い鞍部だった。峠から南は伊賀盆地を一望することができる。伊賀上野のお城と、活気ある城下町。そして遠くに見える特異な形状の山々は、室生火山群による烈火の噴出物だ。対照的に峠の西側は、美しい雑木林がじつに涼しげだ。
一方、多羅尾方面から見ればここは罪人の処刑場でもある。昔はこの峠で人の首を刎ねていた。罪人の体重を五十キロとすると、その体に流れる血液量はおよそ四リットルである。出血性ショックを起こして短い時間で死に至らしめるためには、頚動脈、腕頭動脈、腹大動脈といった太い動脈を一気に鋭く切断して、三分の一以上の血液を数秒のうちに放出する必要がある。処刑人の腕が少しでも鈍ければ、ショックが起こらずに罪人は長いあいだ悶絶したはずだ。いまさっき僕は気持ちの良い峠だと言ったけれど、それは正しかっただろうか。
峠からは多羅尾へはまっすぐ下りずに、途中から分岐して高宮神社を経る道を行った。近ごろの信楽では大きな新しい店ができて、いまの生活様式に合う洗練された作品を販売している。けど、僕は昔ながらの狸と、伝統的なわび・さび風な図柄の方が好きだな。信楽高原鉄道の線路に沿って、N君と二人で静かな道をゆっくり走っていった。
プレストレストコンクリート、という言葉を僕は初めて聞いた。プレス トレスト コンクリートなのかと思ったが、トレストという英単語がわからない。専門家のN君の解説を聞いていると、どうやらプレ ストレスト コンクリートらしい。信楽高原鉄道の第一大戸川橋梁は、昭和29年、日本で初めてプレストレストコンクリートで造られた鉄道橋で、いまや国の重要文化財に指定されている。傍らにわざわざ「標準桁」を付しているのがたいへん面白い。供用している橋桁の経年劣化を非破壊で検査するのは難しいから、標準桁を作って野天に放置し、耐久性の分析をした。ここに黎明期の慎重さが良く表れている。
素人の僕から見て、何ということはない田舎の小さな橋なんだが、これが新幹線などを含めた全国のコンクリート技術の始祖であって、今も鉄道橋として現役である。そしてそれ以上に面白いのが、専門家としてやけに感慨深げなN君の解説であった。
林道を越えた甲賀の新田集落は、美しさの際立つ農村だ。新田の字名にふさわしく、大きなスケールで整地された水田の中に、重い農家建築がぽつぽつと離れて建つ。岩尾越を越えて三重県伊賀市に入っても同じような美しい風景が続いた。重厚な入母屋造りや、見越しの松。ひょっとすると伊賀と甲賀で見栄を張りあったこともあっただろうか。
伊賀と信楽は高校時代によく走った僕の愛すべき道だ。この辺りには高い峠や長大な林道はなく、完走したことを自慢できるような派手な場所じゃない。そのうえ行程が細切れで、スピードを楽しむ走りにも向いていない。けれど、些細なことでもその意味をとらえて、感心したり、興味をもって、面白いと感じたり、感慨を持ったりできる人なら、この地域は必ず楽しいサイクリングエリアになるだろう。また、そういう人でなければ、自転車という趣味を長く続けることはできないだろう。
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WOタイヤのパンクの予防
http://rinyuukai.exblog.jp/33330689/
2023-08-15T21:20:00+09:00
2023-08-18T21:56:00+09:00
2023-08-15T21:20:50+09:00
rinyuukai
モノマニア通信
No.1 トレッド面に何かが刺さるNo.2 サイド面の裂傷No.3 昔の用語でハの字パンク、今の用語でスネークバイトNo.4 リムの底面とチューブとの干渉によるパンク これらのうち、私はNo.1こそが本当のパンクだと思っています。いわば狭義のパンクです。そしてNo.2と3と4を含めたのが広義のパンクだと思っています。 No.3は、リム打ちとも呼ばれるもので、空気圧の低いWOで起こります。圧が高いはずの細身のタイヤでも、特にフロントはすこし低すぎただけで発生することがあります。カタカナのハの字の形状に2か所穴が開くのでこう呼ばれます。たびたびハの字パンクを起こすようなら、お使いのポンプの圧力計が狂っていないか、疑ってみてください。 No.4はどうでしょうか。WOのユーザーなら必ず経験があるはずです。これといって心当たりはないのに、リムに接する側にピンホールができる。高圧を入れる細身のタイヤで多いですが、低圧の太いタイヤでも珍しくありません。 スポーツ車用のリムの底面には、スポークと同じ数だけの穴が開いています(写真A)。この穴の縁(へり)にチューブが当たって圧力が集中し、パンクするのです。リムテープはそれを防ぐためにあります。 けれど、現実にはリムテープをただ付けただけじゃ不十分です。リムの底面の穴を指でなぞってみてください。慎重になぞってみれば、穴の縁にバリが出ているのがわかると思います。たいていは本当に微かなものですが、これがパンクの原因です。たとえリムテープに問題がなくても、バリがあるとリムテープ越しにチューブが押される格好になり、一点に圧が集中して小さな穴が開きます。 こうしたことを防ぐため、私はすべての穴の縁をリューターで削っています(写真B)。触ってみてバリが出ていないように思える穴も含めて、すべて削ります。そしてサンドペーパーをかけ、縁が丸くなったことを確認します(写真C)。現代の一流品のリムでも、このバリはあります。
バリの部分に圧が集中して穴が開くのは、原理だけを見ればちょうど、厚みの不均一な不良品のチューブ(ラテックスチューブでしばしばみられる)に空気を入れようとするとすぐ穴が開くのと同じです。何かが刺さっているのではなく、薄くなった部分の一点に圧が集中して穴が開いているのですから、私の定義の中ではパンクよりむしろバーストです。 私はシュワルベのリムテープを使っています。ブルーのプラスチックのです。そして写真のようにリムテープの縁に粘着テープ(写真D)を二周貼って、ズレを防ぐようにしています(写真E)。幅の合ったリムテープを使っていても、走っているうちにずれることがあるのです。
写真Fは、リムの穴の縁をリューターで削ってはありますが、粘着テープで固定していなかったためにリムテープがずれてパンクした例です。完組ホイールのリムにスポークを入れる穴が二つあって、ちょうどそれにぴったり対応するようにチューブに穴と傷がついているのがわかると思います(黄色矢印)。リムテープは、ずれて一旦クセがついてしまうと、もう二度と戻りません。ですから粘着テープを貼るのはリムテープを新品に交換したときにしてください。 WOのことばかり書いてきましたが、一方チューブラーでは、上に示した分類でいうNo.4のパンクは構造上起こりえません。No.3もまずないですね。No.1と2しかありません。WOに比べてチューブラーのパンクが少ない理由はここにあります。一方、WOはチューブラーと違ってチューブの下半分が外に露出しています。リムテープがあるといっても、そんなのは「臭いものにふた」みたいなパーツですから、WOのパンクはほとんどの場合、上の分類のNo.3と4です。以上のように、WOのパンク回数が多い原因はその構造的な問題にあります。上に書いた工夫はそれを根本的に解決するものではありませんが、WOのパンク回数を相当程度少なくする、はっきりとした効果があります。 ]]>
八草峠と鳥越峠(2023年5月定例ラン)
http://rinyuukai.exblog.jp/33136358/
2023-06-03T16:31:00+09:00
2023-06-03T18:59:10+09:00
2023-06-03T16:31:40+09:00
rinyuukai
定例ラン
滋賀・岐阜の県境にある八草峠とそのすぐ南の鳥越峠は、われわれ伊勢志摩輪友会の本拠地である三重県からみて、じつはそう遠くない。けれど今まであまり行くことがなかったのはなぜなんだろう。八草峠はトンネル開通前の2001年に走ったきり20年以上来ていないし、鳥越峠は僕にとって初めて越える峠だ。
八草峠の旧国道がどんなに荒れているだろうと心配していた。滋賀県側はいまも通行する人が一定数あるらしく、比較的きれいな路面だった。峠の標高は800m弱ほどのところだが、尾根を乗り越す峠に立ってみれば誰もが感じるだろう、もっと高い峠であるかのような風格がある。
通行止めになっている岐阜県側に下りだしたときは、5人のメンバーが一つになって新しい行程に駒を進めていく快感があった。舗装されてはいるが、なかなかアドベンチャー感が楽しめる道だ。山側から流れ出した砂利が路面を覆っているし、濡れたところにナメが張っていて滑りやすい。水は砂と泥を含んでいて、脚と自転車が泥をかぶる。下りきったときにはダウンチューブのロゴが読めないくらいに泥だらけだった。
一方、鳥越峠の北側は、新しくできた林道の舗装がきれいで、地元の人ならロードの練習でタイム計測に使えるような登りである。輪友会最速のS君はカーボンクロス、僕はクロモリオーバーサイズのクロス。二人で先行して上るあいだ、僕は休日にスポーツをすることのすがすがしさに浸っていた。バーの下を握ってダンシングする、脇を固めてフルパワーを絞り出す、なんと気持ちの良いことだろう!
峠にはかなり早くついて、S君と一緒にあとの3人を待っていた。鞍部から周囲の山々と眼下の峠道が一望できる。はるか下の九十九折れに赤い点や白い点が3つ、ゆっくりゆっくり上がってくるのが見えた。ときどき、それらは小さな谷に隠れて見えなくなってしまう。なかなか出てこない。じっと待っていて、おかしいな、どうしたんだろうと思った頃にやっと次の枝尾根に出てくる。
僕たち二人だって、フルパワーで登ったつもりでいても、天から見たらやっぱりああいうふうだったに違いない。偉大な山々を前に、人はなんとちっぽけで無力なものだろう。
八草峠と鳥越峠を結ぶこの稜線の主峰を金糞岳という。八草峠の麓の集落は金居原といい、近くには鉱山跡がある。古事記や日本書紀を読んで、糞(くそ)という言葉から直感するように、この辺りはふるくからの採鉱地だったに違いない。小谷城の東の田園地帯を流していくとき、家々の梁や垂木がみなベンガラで塗ってあるのを見てそう確信した。古代から砂鉄採取が行われてきた岡山の吹屋と同じだ。
地方色の豊かな美しいツーリングだった。鳥越峠の林道はスポーツとして魅力があるコースだ。走った距離は長くないが、内容の濃いツーリングだった。「こんなに素晴らしいツーリングコースが近くにあるのに、なんで今まで来なかったんだろう」僕もそう思った。
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立梅用水、和歌山街道、熊野古道など(4月定例ラン)
http://rinyuukai.exblog.jp/33029699/
2023-04-29T12:07:00+09:00
2024-02-19T22:01:55+09:00
2023-04-29T12:07:37+09:00
rinyuukai
定例ラン
今回は大きな峠はないですが、見どころが多いコンパクトなイメージのコース
約80キロ
多気町の朝柄をスタートして立梅用水に沿ってフラットな道で櫛田川をさかのぼる
古い用水に沿って昔の用水トンネルを見て押して進む
珍布峠などの旧166を走って、宮本のつるやで買い出しして湯谷峠を越えてお昼栗谷から浦谷へ林道を越えて三瀬谷
改装中のオリさんの陶芸工房に寄って熊野古道を走ってもどりました
ジャパンエコトラックの脇道を走った感じですね。
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布引山地の塩見峠(2023年2月定例ラン)
http://rinyuukai.exblog.jp/32958946/
2023-03-04T08:56:00+09:00
2023-03-04T21:31:54+09:00
2023-03-04T08:56:38+09:00
rinyuukai
定例ラン
輪友会のメンバー三人と一志町役場に集合して、小雪の舞う中を走り出した。雲出川の沈下橋を渡って石橋、大仰(おおのき)。私のホームコースである。
二雲橋は家城の古い眼鏡橋で、河床を見下ろすと江戸時代の水路が残っているのが見える。少し離れて掛かるJRの鉄橋との距離感が絶妙で、ここは風景画の題材にもなっている。 二雲橋
山上集落の二俣を経て、急勾配を駆け上がっていく。登りついた峠は福田山との間でT字路をなし、古い文献では「ひょうたん辻」の名がある。乳牛の放牧場を過ぎて見栗(めぐり)方面へ下る道は、おそらく地元のサイクリストの中でもほとんど知られていないだろう。
桜峠の登りは東側でも日当たりが悪く、これだけ寒い日には暗い印象のぬぐえないところである。峠はひょろりとした杉の植林に覆われて寒い。けれど布引山地の縦走路と交差しているので、桜峠はこの山地を縦横に楽しむための要(かなめ)となるところだ。 桜峠
明治の始まりまで、三重県は布引山地から東側が伊勢国、西側が伊賀国に分かれていた。桜峠を越えて伊賀国に入った僕たち三人は、あらためて伊賀盆地の寒さを体感していた。とにかく下りが寒く、僕はたまらずオーバーミトンを取り出した。若狭湾方面から琵琶湖上空に遮るものがないため、三重県は太平洋側にあっても一部の地域は日本海側に似た気候の特徴がある。琵琶湖に近い伊賀はとくにその傾向が強い。
今から越えようとする塩見峠は、布引山地を越える中でも最も成立年代の古い峠の一つである。奈良時代、布引山地の北には古代三関である鈴鹿関(現:三重県亀山市)があった。天平十二(740)年、聖武天皇は「朕おもふ所有るによりて、今月の末暫く関東に往かむ」と詔して、布引山地を越えて伊勢に向かった(続日本紀)。これが文献上にみられる「関東」という言葉の初出であるそうだ。このとき天皇は、安保頓宮(現・伊賀市阿保)を経て河口頓宮(現・津市白山町川口と比定)に至ったと続日本紀に書いてあるし、青山峠の開通は平安時代を待たないといけない。だから越えた峠がどれなのかはだいたい想像できる。塩見峠はこの時代すでに開通していた数少ない峠の一つであり、一直線のルート上にある。 正面が鹿島神社の叢林。その奥の鞍部が塩見峠
塩見峠へ西側から登るのは、神社の裏から登る古い峠道を選ぶのが最も良い。長い歴史を経てすっかりU字形に踏み固められた道を、自転車を担いで登って行った。
塩見峠の古い道
いまの塩見峠は航空自衛隊の基地に隣接するため、道との境界がフェンスで区分けされてしまっている。そのことを悔やむ向きもあるとは思うが、鞍部をきれいに乗越しているところは、むしろ聖武天皇のころとそう変わらないはずだ。とくに今日のように西側から、灌木林を抜けてザザッ、ザザッと笹をかき分けて峠に達すれば、奈良時代の峠越えもきっとこんなだったろうと感慨がわくものだ。峠に修験道や観音信仰の跡が見られるのは鎌倉以降のものだろう。 塩見峠
塩見峠の名は海が見えるところからの命名に違いない。30年くらい前までは、峠の南側のフェンスがなくて、南の丘に登って伊勢湾を眺めることができた。
峠を下れば、そこは奈良時代でいう「関東」だ。古代三関より東には朝廷に反対する勢力がまだたくさんいて警戒すべきところだったのだろう。けれどいまの伊勢国は日が差して温かい。日本海側から琵琶湖上空を吹き抜けてきた風を、布引山地が遮ってくれている。自転車に乗り始めた中学生のころは壁だった布引山地、国を分かつこの山脈の偉大さを、五十をはるか過ぎた今も改めて感じた今月の定例ツーリングだった。
参考文献
続日本紀
笠原英彦「歴代天皇総覧」中公新書
庄山剛史「三重の峠」風媒社
地理院五万図「二本木」「名張」
令和5年2月26日走行
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温見峠と伊勢峠
http://rinyuukai.exblog.jp/32870360/
2022-11-06T15:58:00+09:00
2022-11-12T22:41:42+09:00
2022-11-06T15:58:53+09:00
rinyuukai
プライベートラン
三重県津市の私は、いままでこれらの峠に行くのはいつも泊りがけだった。しかし近頃は仕事でいろいろあるし、今回は帰宅が遅くなることには目をつむって日帰りで走ることにした。
JR東海道線大垣駅で樽見鉄道に乗り換え、本巣で降りて自転車を組み立てた。終着の樽見まで輪行しなかったのは、ただ峠を走りに行ったというだけのツーリングにしたくなかったから。根尾里の畑や、立派な神楽殿のある神社を見て、美濃地方の空気をじゅうぶん吸い込んでから少しずつ高度を上げて行った。根尾川を、揖斐川の支流に過ぎないと軽く見てはいけない。実によい川だ。瀬も淵も豊かで美しい。ぜひ次は釣りに来たい。
ある程度規模のある集落としては、樽見は峠まで最後のむらだ。ここを過ぎると急に、さあ山に入っていくぞという感じになる。ただし根尾谷は一気に駆け上がって峠に着いてオシマイ、なんていうちっぽけな谷じゃない。断崖に沿って少し登って少し下り、また登ってまた下りというように、サイクリストをなかなか弄んでくれるのだ。
谷の上流部は浸食が進んで、すり鉢の底のように広くなっている。そこはブナの林とススキの原になっていて、一軒の家もなく、ただ動物の住処である。路面のあちこちに林からの冷水がしみ出していて、ハンガーやチェーンステイあたりが水びたしだ。靴や脛もどんどん濡れてくる。サイクリストはこの無人地帯を長いこと登る。この野性味が温見峠の大きな魅力だ。尾根には取りつかず、谷すじから離れないまま峠まで登ってしまう。山とは、峠とは、谷なんだ。 温見峠の鞍部
峠から福井県側に入ってしばらくは、荒れたコンクリ舗装の九十九折れで尾根を駆け降りていった。谷すじに降りてしまえば、温見川は岐阜県側の根尾川と同じような老年期の谷だ。かつて人が入植していたころの名残で人工林や耕作放棄地があちこちにあって、今はススキの原にとって代わられつつある。 温見川の渓流
伊勢峠への分岐まで、ゆるい下りはずいぶん時間がかかった。しかし地理院地形図を読むとここから伊勢峠までは320mの登りがあるだけだし、この先は追い風になるだろう。
伊勢峠は静かで愛すべきところだ。初めてここに来たのは2サイドのキャンピングだった。あのときは長い時間峠に佇んでいた。そしてもうずっとここに居たいと思ったものだ。今日も、また同じように感じた。 伊勢峠
三重県の私には、ここがなぜ伊勢峠という名なのか気になるところだ。峠の東側は、字の名を伊勢といい、すなわち大野方面から登ってきて伊勢集落へ越える峠、という命名なのだろう。古い石仏も祀られているし、九頭竜ダムができる以前、伊勢という集落は九頭竜川源流にあって一定の存在感を持ったところだったろう。けれどその命名の由来はわからない。
油坂峠のすぐ下のトンネルに達した。秋の夕べ、黄色い斜光線が長く長く伸びてススキの原に反射していた。長かったツーリングが終わる寂しさが、胸にこみあげてくる。長良川鉄道の美濃白鳥駅から輪行して今日の一日は終わる。町並みで旅籠の看板を見て、もし泊まりのツーリングだったらと想像した。宿で風呂に入って、日本料理の膳を前にしたらどんなに気分が良かっただろう。迫力のあるコースで充実した走りができただけに、自転車を輪行状態にするのは残念でならなかった。缶ビールが粗末なものに思われた。
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熊野方面サイクリング(タンデムなど)
http://rinyuukai.exblog.jp/32839353/
2022-09-28T07:58:00+09:00
2022-09-28T08:04:25+09:00
2022-09-28T07:58:21+09:00
rinyuukai
プライベートラン
熊野の奥深さを感じる味わいある道でした。
熊野市街から井戸川を遡り、途中で左折して一の水峠。
大丹倉で滝登りの一行に出会い、下って育生町から丸山千枚田に抜けて、風伝峠。
そこから下って阪本から熊野古道の横垣峠の脇の舗装路を走り、熊野市街にもどりました。
途中、12%の坂道もあってタンデムではキツくて汗がタラタラ。
全長70kmくらい。6時間ほど。
丸山千枚田で次男の自転車のタイヤがバースト。
チューブを交換して、低めの空気圧でなんとかゴール。
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三重・奈良県境の実線の道
http://rinyuukai.exblog.jp/32746747/
2022-07-29T22:34:00+09:00
2022-07-29T22:46:12+09:00
2022-07-29T22:34:34+09:00
rinyuukai
プライベートラン
実線の道で舗装されていないのは三重県ではかなり例外的で、青蓮寺ダム湖西側の道はその一つである。かつては曽爾との往還に使われた古道で、そのピーク付近に、ここはかつて狼も出没するといわれた難所で鬼ヶ坂と呼ばれていたと表記があった。
路面はよく締まっていて、700×27cでも問題なく走れる。農道としても使われていて生活感もあるし、僕は気に入った。なかなか良い道だ。峠を越えて県道赤目滝線に出た。
県道を少し走って今度は竜口夫婦川林道に入った。奈良県の龍口集落に通じる一部実線の道で、ここはなかなかの本格ダートだった。押して歩いたのは五分間くらいだったと思う。山を乗り越すところは、やはり昔に人が行き来した雰囲気がある。そこから先はすぐに細い舗装道路になる。
龍口は日本の美だ。重い鉛色の甍の入母屋造りに重厚感がある。そういう家が急斜面に立ち並んでいるから迫力がある。週末の気軽な走りのつもりで来たが、やけに旅情感が出てきた。カメラを持ってくるべきだった。
続く西谷も同じで、斜面の家々を仰ぎ見て急勾配を駆け上がっていくときは、偉大な選手にでもなったような気分になった。
室生では、気分もいいしちょっと値の張る和定食をとることにした。畳の奥座敷で室生寺の庭園を眺め、美しい小鉢を愛でた。料理店の主人から、お寺はこれからですか、と問われた。いやこの格好(ジャージと黒パンツ)では…、仏さんに失敬ですから、と僕は答えた。「今度は自転車じゃなくて、ちゃんとした格好で来ます」。
室生の西から林道荷阪線が分岐している。距離は短いが、ここもバラスが荒れていた。夏草が伸びて道に被さっている。
荷阪の集落は、5万図でみて想像するのよりずっと寂しいところだった。家のまわりの草刈りをしている男を一人見かけたが、定住しているのではなくて、榛原市街の自宅からときどき上ってきてこの母屋に風を通しにきている、という感じに見えた。
帰りの電車の中で、このコースを走るにはどんな自転車が最もふさわしいか考えていた。本格ダートを制覇しようとして走破性の高い自転車を選ぶと、どうしても攻撃的な車種になってしまう。しかしそれでは龍口や西谷、室生の土地柄に合わなくなってしまうだろう。むしろタイヤの幅は32mmくらいにとどめておいて、バラスの荒れた部分は押して歩くことにする。そしてトップ水平のクロモリフレーム。パーツは舶来なんかじゃないほうが良い。サンツアー+プロダイ+吉貝くらいがこの山村の雰囲気を壊さなくてよいだろう。そして乗り手自身が、むらの美しさを敬う心根を持つことが必要だ。
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加太越と坂下峠(2022年4月定例ラン)
http://rinyuukai.exblog.jp/32663328/
2022-05-04T11:24:00+09:00
2022-07-03T20:54:58+09:00
2022-05-04T11:24:45+09:00
rinyuukai
定例ラン
集合場所は、私の自宅から25km離れたJR関駅である。私は1時間半前に出発して走っていった。少し早くついて駅で待っていると、プランナーの中根君がやってくる。「家から走ってきたん?」うん。
「今回コース短いでなあ。物足りやんもんな」。中根君は申し訳なさそうに言った。距離がいつもの輪友会のツーリングより短いことを言っているらしい。いや、物足りないとは思ってないよ。ぼくは自宅から走っていくことが、なんか、サイクリングの原点だなって思って自己満足しているだけなんだ。
関駅を出発し、東海道の宿場町、関宿を通って行った。京に向かってこのまま西に越えるのが、箱根と並ぶ難所であった鈴鹿峠だが、ぼくたちはこれを行かずにバンドウ山の鞍部を越えて、加太越の峠道に出た。これは鈴鹿山脈を越える最も古い峠で、仁和二年(886)に開かれた鈴鹿峠の先輩にあたる。いつもは採石場を行き来するトラックが通って埃っぽい道だが、本当は歴史街道として三重県の最も重要な峠なのだ。
日曜日の今日はとても静かで気持ちよく走れた。舗装が良くなったせいもあるだろう。そして、春の新芽が芽吹き、山が明るいきみどり色に光っているのが印象を良くしているのだと思う。峠は一ツ家という数軒の集落でもある。庭の花々が美しく、中根君と二人で、加太越ってこんなにいいところだったっけ、と顔を見合わせた。
余野公園で弁当を食べたとき、昆虫の生態に詳しい中根君が芝生の庭にツチハンミョウの成虫を見つけた。腹部の長さのわりに羽が寸足らずなのを見て、やっぱりそうだ、という。
ツチハンミョウは昆虫の中でも産卵数が特に多いもののひとつである。大量に孵化した幼虫は一斉に花に登って、花弁で雌のシロスジハナバチがやってくるのを待つ。蜜を集めに来たハナバチにうまく取り付いて巣に運ばれると、ハチの卵を破ってその餌を食べて育ち、やがて成虫となる。
しかしツチハンミョウの幼虫が花の上で待っていて、うまく乗り移れるのはほんの一握りの個体だけである。一回失敗しても次のチャンスを待てばいいが、果たしてそれは本当に来るのだろうか。もし間違って雌のシロスジハナバチ以外の虫に乗ってしまったら、その時点でほぼ死は決まったようなものである。こうして、ほとんどの幼虫は餓死してしまう。ぼくは中根君の解説を聞いていて、自然界の不条理を感じていた。いま芝生の上にいるこの成虫も、その極めてまれなチャンスをつかんだ個体なのである。
昼の弁当を食べ終わったくらいの頃から少し雲行きが怪しくなったので、坂下峠を越えて少し早めに帰ることにした。今日の予報は昼過ぎから雨である。
坂下峠は、鈴鹿峠のすぐ南の鞍部だ。鈴鹿峠の開墾は平安時代当時の国家的事業だったはずだが、やがて山賊が横行したり、私関(地元の有力者が私欲のために無許可で設けた関所)が乱立したりするようになった。そこでこれを避けるために裏道としてしばしば利用されたのが、坂下峠だ。
じつはこの峠の姿は、今も裏街道そのものである。ここ二、三十年でアプローチの舗装道路はずいぶん伸びたが、特に滋賀県側は鈴鹿山脈特有の風化した花崗岩のガレがひどく、まだ行ったことのない人のために細かい情景描写は控えるが、もし火星に峠があるならたぶんこんなのだろうと思うような姿である。どちらかと言えば滋賀県側から登ることを薦める。
峠についた。いつもなら西からの風が強く叩き付けているが、今日は湿った東風が、冷たい飛沫を含んで吹き抜けていた。もう間もなく降ってくる。降ってくるぞ。
東海道をハイスピードで下った。小糠雨に濡れながら宿場町を流していくのは心地よかった。まちなみ保存地区の西端には、江戸時代の民家が復元されていて、その内装に触れることができる。炊事場と仕事場を兼ねた土間と、畳の間が二部屋。質素かつ清楚なたたずまい。思わず背筋が伸びるような場所だ。
降雨の予報はわかっていたので輪行で帰るつもりでいたが、汽車の接続が悪かったのでまた自宅まで走って帰った。雨はじきに止んだ。
今日のコースはまるで大人の遠足のようだった。けど誰かに連れていってもらったんじゃない。昆虫の一生も、江戸時代の民家も、峠の歴史も、自分たちで見て歩いた。こうした知的好奇心のくすぐられるツーリングがぼくは大好きだ。
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カンチブレーキのセッティング(その1)
http://rinyuukai.exblog.jp/32605724/
2022-02-27T15:01:00+09:00
2022-06-18T22:03:44+09:00
2022-02-27T15:01:38+09:00
rinyuukai
モノマニア通信
キャリパーブレーキ(=サイドプルとセンタープル)と違って、カンチブレーキ(正しくはカンチレバーブレーキ)は、本体そのものに固有の力率を持っていません。いや、左右片側ずつのカンチレバーに固有のアーム比はありますが、アーチワイヤーも含めてフレーム自体がブレーキ本体の役目も果たしていて、どのように組み付けるかによって全体の力率が決まるのです。
われわれはパーツの性能の良しあしを「本体」に帰して語ってしまうことがありますが、それはたいてい愚かなことで、本当はレバーも含めたセッティングが性能を左右する大きなカギを握っています。組付け方のいかんで力率が決まるカンチブレーキはその最たるものです。
この項では、まずすべての形式のブレーキに共通のこととして 1)レバーとケーブルのセッティング について私の組付けを紹介します。その後に、2)アウター受けの選定、 そしてカンチブレーキの形式別に、 3)腕木が斜め上を向くカンチブレーキ 4)腕木が横方向に伸びたカンチブレーキ、に分けてセッティングの要点をまとめました。
1)レバーとケーブルのセッティング
レバーのセッティングにしばしばありがちなのは、浅く引いただけでシューがリムに当たる設定です。実は私もハタチのころはそうでした。けれど二十五、六の頃でしょうか、ある有名ビルダーに浅引きの過ちを指摘されたことをきっかけに、レバーを深く引いてシューが当たる設定に転向したのです。いまではすっかり深引き派です。
ブレーキをちょっと「当てる」だけなら浅引きも深引きも使い心地に大差ありません。しかし強度のブレーキングを迫られたときには、自信をもって思いきりレバーを引けるかどうかに大きな違いがあります。たとえば大雨の中、キャンピング車で峠を下っていくとき、乱暴な運転のクルマに追い抜かれてその直後に急ブレーキをかけられたような場合です。また、ドロップハンドルで激しい林道を下っていくときも深引きの方が振動によく耐えることができます。私は深引きを勧めます。
アウター断端の整形
図1はブレーキレバーの拡大図で、PAとPBを割り算することでアーム比を計算することができます。手近なレバーを測ってみると、どれもだいたい4くらいのようです。
つまり、指先の力の少しの差が、その4倍の損になり、それがさらにブレーキ本体で数倍に増幅されるわけですから、ケーブルのセッティングの腕前いかんでブレーキの制動力は大きく変わるのです。わずかなロスも無駄にするわけにいかないのです。
ワイヤーカッターで切断したばかりのアウターの断端はつぶれた形をしていて、このまま使うとブレーキレバーのグニグニ感の原因となります。私はこのグニグニが大嫌いです。断端を削って必ず平らにしなければなりません。アウターを万力で挟み、平やすりで断端を削ります。やすりは押したときにだけ削れるように刃がついていますから、押す一方向に削ってください。引いてはいけません。最後に千枚通し(目打ち)を挿し込んで開口部の形を整えてください(図2)。
アウターの走行
後ブレーキのアウターがシート周りでどう走行するかは大きな問題の一つです。一時はニューサイなどで、大きく弧を描くようなアウター走行が「美しい」などとされたこともありましたが、ブレーキ効率の点でこれは間違っています。正解は図3のようにできるだけ低いアーチになるようにセットすること。嘘だと思ったら試してみてください。
ワイヤーの潤滑
これをやらない人の気が知れません。私は30年以上前の学生時代から、どんなオイルがいいだろうと試してきましたが、革命的だったのは20年ちょっと前、セラミックルブの登場でした。私はこれをチェーンに注すのは嫌いなので使いませんが、ブレーキワイヤーと変速ワイヤーには必ず使います。ただし、少量では効果がありません。アウター内がセラミックルブでドボドボに満たされるようにたっぷり使ってください。
アウター止めの位置
とくにアウター外出しの自転車で発生しやすいのが、レバーを引くのに合わせてアウターが少し動くやつ。そのぶんレバーを引く力が盗られているということで、制動力低下の一因です。
しかしこれはアウター止めの位置を少し工夫すれば改善することが多いようです。前のアウター止めをトップチューブのあまり先の方にロウ付けしてしまうと、こういうことが起こりやすいように思います。フレームを塗装する前に仮組みしてみて、レバーを引くたびにアウターがグニグニ動くようなら、アウター止めをロウ付けする位置を変えてみたらいいのです。
カンチブレーキのセッティング(その2)に続く
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カンチブレーキのセッティング(その2)
http://rinyuukai.exblog.jp/32605714/
2022-02-27T14:52:00+09:00
2022-02-27T21:34:21+09:00
2022-02-27T14:52:46+09:00
rinyuukai
モノマニア通信
フロント用アウター受け
フロント用のアウター受けとして、ヘッドパーツに組み込むタイプのもの(図4)を使う場合は特に注意が必要です。レバーをちょっと引いただけではロスがないように見えても、シューがリムに当たってからさらに強くレバーを引くと、アウター受けがグニグニ動きませんか。もし動いているなら、この力のさらに数倍増幅された分が制動力の損失になり、こんにゃくを踏んづけたみたいなレバーの引き心地になるわけです。
下の写真5は私が考案して自作したフロントキャリアです。この斬新なアイデアのアウター受けは、「たわみ」やグニグニが一切発生しない構造になっているのがわかるでしょう。これなら制動力にロスは全く生じません。カッチリした引き心地になります。
フロントキャリアのない自転車の場合はどうしましょうか。Ritcheyのヘッドセットにはアウター受けと一体になった機種があります(図6)。使ってみた感触では、このアウター受けはなかなか強固で、いくら強くレバーを引いてもグニグニ動いたりしません。小さいですがアジャストネジにもなっていて便利です。
リヤ用アウター受け
シートからの吊り下げ式はアウターの走行が窮屈になって、摩擦抵抗が増える傾向があります。しかし松葉型なら、もっと下の方にロウ付けできるので、アウターの走行が自然になる利点があります。アーチワイヤーがシートステイと並行になるように、適正な高さの松葉型アウター受けを製作してロウ付けします(図7)。シートステイを基準としたアーチワイヤーの高さは、カンチブレーキの機種によってみな違います。
そのほかカンチブレーキの正しいセッティングとして、シューの選定や、シューがハの字になるように、といった事柄があります。しかしこれらは皆が知っていることなのでここでは省略します。左右のシューがリムに同じ瞬間に当たるように、ということも、厳格にやればやるほどブレーキの使い心地は向上します。
リムに関しては、サイドがミーリングしてある最近のリムのほうがブレーキの使い心地が良いのは言うまでもありません。ミーリングされていない旧式のリムは、たとえシューの当たりが出た後であっても、ミーリングしてあるリムにはかなわないように私は感じています。
それから、画期的なのがシマノのリンクワイヤーです。レバーの引きのカッチリ感が明らかに向上します。長さが5種類あり、シクロクロスのように泥除けもキャリアもついていない自転車の場合は一番短いものが使えます。ツーリング車の場合は、キャリア等に干渉しない範囲内でできるだけ短いものを選んでください。
カンチブレーキのセッティング(その3)に続く
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